ゼロの発見と東洋哲学
昼から夜に。
夏から冬に。
その境目に、夕暮れがあったり、秋があったり。なんとなく切ないような物悲しいようなイメージがあります。
夜から朝に。
冬から春に。
これもまた、神秘的な夜明けの空や、雪溶けの風景が頭に浮かびます。
いずれも美しさが溢れていて私が大好きな瞬間。東洋哲学でいう陰と陽の境目だなあ、としみじみしてしまいます。
今回は、そんな美しき“境目”について。“ゼロの発見と東洋哲学”という切り口から考えていけたらと思います。
よろしければお付き合いください。
さて。
正と負の数字のちょうど境目に“ゼロ”という数字があります。
この今では当たり前の“ゼロ”という数字ですが、これが世界的な概念になったのはつい最近のことであることをご存知でしょうか。
歴史をふりかえってみると、特に西洋の人々にとってこの数字が理解し難いものだったようなのです。
つまり、“無いもの”が“有る”と認めるのに大変時間がかかりました。
実はこれには理由があります。
西洋には古来より、神が世界をつくったと考える“天地創造”や、地球を中心に空が動いているとする“天動説”がありました。
ゼロを認めてしまうとこれらを少なからず否定することとなり都合が悪かったのです。
西洋では紀元前よりピタゴラスが三平方の定理などを発見していて、おそらくゼロという存在を知ってはいたものの、それを大きな声で言えない現状がありました。
対して、東洋はというと。
東洋の国々では、古来より借金の計算をする習慣があったようです。要するにマイナス計算をする習慣がありました。
“無いもの”が有る、と考えるのに慣れていたのです。
そんな状況のなか、世界で初めて“ゼロ”を発見したのは7世紀、東洋の国でした。
インドの数学者が“ゼロ”の概念を発表したのです。
それでも当初、西洋の国々では、それに懐疑的な姿勢を示したといいます。
現在ではどの計算機にもパソコンにも“ゼロ”は当たり前のように使われています。
しかし、そうなるのにはこうして大変な紆余曲折があったのです。
いずれにしても、西洋の人々にとって数字とは正の数字であり、“有”を前提に物事を考えるのが当たり前。それが今日の物質文化に繋がっています。
一方、東洋の人々は“無”を考えることに抵抗が無く、それを遺憾なく精神世界に適用し、尊重する文化があります。
それは東洋には古来より“陰陽”や“虚実”という概念があったことと関係しているのかも知れません。
今、目の前に見えているものにこだわる西洋。見えないものをなんとか見ようとする東洋。
どちらにも歴史があるのですね。
名古屋伝統指圧普及会ははのて代表
うめむら指圧 梅村高史
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