人類が言葉を持たなかった時代、世界はどんなものだったのでしょうか。


例えば、右、左という言葉があってはじめて、、

私達は左右を認識します。

手、足という言葉があってはじめて私達はそれらを意識します。


つまり、言葉がない世界では、手も足もなく、右手も左手もなく、そもそもそのように区別して考えることはなく、みんな一つのものだった。


今回のテーマは、道(タオ)。


色々な解釈があり、大変難しいテーマではありますが、いつも通り、指圧師の視点からこれを紐解いていきたいと思います。

よろしければお付き合いください。


さて、

日々、指圧をしていると、相手の痛みが自分の痛みのように感じられることがあります。

相手と自分との境界がぼやけ、一つになるような感覚になることがあります。

相手の体を治しているのに、いつしか自分の体が楽になっている、なんてことはしょっちゅうです。


不思議に思われるかも知れませんが、

これこそが指圧のナチュラルな姿であり、その仕組みを使って指圧は相手の心や体を軽くしたり、不調を改善させたりします。


でも、一体なぜこんなことが起こるのでしょうか。


その昔、老子はこんなことを言っています。

「道可道, 非常道。名可名, 非常名。」

“これが道だと説明できるような道は道ではない。

これが名前だという名は名ではない。”

いかがでしょうか。

わけがわかりませんね。

しかし、私はこれを指圧を通じてなんとなくそれを実感するようになりました。


指圧をしていると、

左右も国もない、貧富もない。

上下関係も主従関係もない。

つまり、相手も自分もない。

人間ですらない。

いうなれば、みんな自然の一部。

そんな感覚になるのです。


私達の脳にはニ種類あります。

新しい脳と古い脳です。

新しい脳の代表が、言葉や理屈をつかさどる脳“大脳新皮質”。

古い脳の代表が、本能をつかさどる脳“大脳辺縁系”。

指圧は後者を使います。

とても動物的な脳です。


動物は言葉を持ちません。

渡り鳥が餌を求めて海を渡る時、

鮭が産卵をしに川を登る時、

彼らは、本能でそれを成し遂げます。

科学的根拠や効率を求めてそれをするわけではありません。


老子は続けます。


「无名天地之始。有名万物之母。故常无欲以觀其妙。」

“天地が生まれてはじめて色々なものに名前がついた。欲を無くせば妙が見えてくる。”


つまり、言葉が使われるようになり、人間一人一人にも名前がついてはじめて私達はその個体の区別を認識し、やがてそれが比較を生み、競争を生む。


しかし、それをとっぱらってしまえば、欲が消えて「妙」が見えてくる。

「妙」とは、なんでしょうか。

それは、物事の本質。

つまり、それが道(タオ)です。


言葉や形にこだわり過ぎてしまうと大切なことをいとも簡単に見失ってしまう、ということです。

道(タオ)は、私達に教えてくれます。


自身の暮らしを便利にするためにつくった言葉が、いつしか物事を分断し、そのことがいかに自身を縛りつけ、苦しめることになっているかを。


せめて指圧をしている時くらいはそのような弊害を忘れていたいものです。

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